聖夜。つぶれた連れを置いて、近所のバーでふんふん と飲んでいたら、石橋蓮司さんと遭遇しました。このまち(代々木上原)では、芸能人がしどけない姿で居ても、振り返ったりじろじろ見ない不文律?がありますが…
信じられないほど目が大きい幼児を抱いて駅の改札でニコニコしているヒロスエちゃん、薬局でキャッキャとノド飴を選ぶ江口&森高ファミリー、つんのめりそうな姿勢でブツブツ言いながら道を歩く三谷幸喜さん、
みんなよくジロジロしないな 田舎もんの私は感心します。
そんな人間にとってバータイムは逢魔が時。酔っぱらいに遠慮もへちまもあるもんか~
「蓮司さん蓮司さん、前に こんなコラムで取材させてもらいました。覚えてますか」ずいずい、イスを5個もつめました。
「覚えてねえ! プロ論とかそんな偉そうなインタビュー受けたことねえ!」
ニベもない蓮司さんですが、その日もインタビューを受けてきたそうで、ご気分が人生訓モードだったらしい。なんかいいことを一杯言ってらした気がするので、断片をメモします。(太字は、過去インタビューより抜粋)
◆とにかく、常人にはない勇気をもたないと表現者にはなれないんだ。勇気っていうのは、自分の原体験をみつめ、それを表出させること。おめえ、官能小説ちょっと書いたくらいでびびってちゃいけねえ。自分のエロスをちゃんとほじったか。もっと書け。ちゃんと書け。
ーー「今回の役作りはいかがでしょうか」ってよく聞かれるけど、「ある意味で役作りなんかしてません。役は僕の一部です」(笑)。役者だけじゃなく、すべての人にいえることだと思いますが、ひとつの要素を拡大して表現してるだけ。
誰もが体内にいっぱい病原菌を持ってるのと同じように、俺の中に、強姦魔も殺人鬼も、ストイックな人物像も持っている。その中の、どれを表出して生きているかが、人間の生き方ですよね。
サラリーマンの方だって一緒ですよ。役者だけがそれを持ってるんじゃなく、皆さんもお姫様であり、卑劣な人であり、勇気の人である。ただ、役者はそれを、ものすごく自分の意識下で身体化させているんでしょうね。
◆たくさんの人にインタビューし続けなさい。俺は80歳でも現役の役者で居続けるぞ。それはたくさんの人の話を聞いて聞いて生きてるからなんだ。それをやらないと死んでいくんだよ。
ーー俺もいろんな呼吸法を覚えてから、たくさん仕事をやれるようになった…社会で生きていくうえでの、対人とのあり方。つまり間というか、呼吸の取り方によって、相手を見るっていうこと。
相手が見えないと何もできないわけだからね。俺がよく何回でもよく使う「他者」ですよね。他者と自分の呼吸法は違うのに、同族だと思っちゃうと、大事なことを見落としてしまうから。
◆真の表現者になりたかったら、家庭は壊せ! だけど守りながら、壊せ! このさじ加減が難しいんだなあ…。
(奥さま=緑魔子さんとは長らく別居。しかし死ぬ前に撮りたい映画は、緑魔子主役だとおっしゃっています)
◆だいたい、なんで俺がおめえさんにこんな話をしなきゃなんないんだよ。
と最後は我に返った蓮司さんなのでした。ははははは
最近、体に4か所もメスを入れたのに、意地でも煙草も酒もやめねえとおっしゃる。
「でも日本が誇る役者なんだから、ちょっとは気を付けてくださいね」と言ったら、うるせえよ!と言って帰っていかれました。あはん かっこいい
--今の時代の、若い人の迷いはわかるんです。俺たちの世代は、すごくはっきりした縦軸(体制や権威)があって、そこを横から後ろから突こうとか、上から潰そうっていう、対立構造がはっきりしてた。
でも今は、自分はどこに拠って立つんだろうっていう、自分と世間との距離感をつかむのは難しいと思うんです。だからこそ、イヤになったら、自分っていうものをもう一回考え直して、ダメならやり直せばいい。
やり直せないと思うなよ!って、言いたいんです。所詮はおめー、人間が作ってる社会だぞ、なんとでもなるぜ。捨てちゃえ、よけいなものは!
(c)2010 プロフェッショナルの唯言
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捨てちゃえよけいなものは と石橋蓮司さんは言った。
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