ミネラル水の話のさいごに。
販売元・㈱JESさんからいただいた資料のうち、社長の金言集?(現在は150話まで…熱い)の、ちょうど100話目が、この命水が世にでた経緯がまとめられた良い話でした。転載させていただきます。
関わる人びとがおっしゃる、「この水が私を選んでくれた」 …は言い得て妙だと思います。
私はこのお水を扱うようになってから、
「サヤカさん、希望の命水って、以前とっくに教えてあげたじゃないですか」って3~4人の人に言われましたが、ええ?
全く記憶になかったんです。ふだん人の話を聞いていないのがばれた…。 じゃなくて、きっとタイミングがあったのでしょう。
私共の小さなストアにも、日々、「もっと扱うサプリを増やしたらどうでしょう」とか「うちのこれを売りませんか」とか、
ツワモノになると、「カリフォルニアニュートリエンツ社のこれとこれ、たくさん買うから仕入れてくれません?」という方もいますが、
いえいえ、そんなふうにアイテムのほうからやってきてくれる、許可してくれるものをやりたいんです。そこに自分の手の熱をのせられるようになったら、扱ってもいいんだろうと思っています。
それでは以下、転載です。
ミネラルは地球からの贈り物
この生体ミネラルが世に出るまでは、様々な歴史と苦難と挫折、そして大いなる気付きがありました。
開発者を含め関わった方々の人生は、余りにも波乱万丈過ぎて、全てを伝える事ができないでしょう。
まるで、様々な苦難を乗り越えた者だけが与えられる、地球からの《贈り物》のような気がするのです。
大げさな表現をすると、宇宙の愛とか慈悲を一つの形にするならば、この液体もそれに値するのではないかと思えるほどです。
少なくとも私にとっては、右足切断と人工肛門という絶望の淵から救ってくれた希望の水です。
それがきっかけで、開発者である嶋西先生、その後に川田先生とお会いする事ができました。
嶋西先生は、胃の検査時に飲む危険なバリウムを安全なものに変えた開発者でもあります。
昔のバリウムは単一ミネラルで、頻繁に事故が起きていたのを、嶋西先生が他の微量元素ミネラルで調和し、安全なバリウムに変えた、世界中の医療に貢献された方でした。
※単一のミネラルを多量に摂取すると毒になる…「単一ミネラル症候群」、または「単性ミネラル過多症」。
私が嶋西先生と最初にお会いした時、先生は『私がこの水を開発したのではなく、神が私の右手にこの石を乗せてくれたのです』…と謙虚に仰いました。
その後にお会いした川田先生は、ユーリー・ミラーの生命発生実験以来、初めてこの生体ミネラルで生命の元となる『原始有機体』を発生させることに成功された世界的権威者です。同時に、世界初とも言える《魂の重さ》を測られた物理学者でもあります。
川田先生は当時、東大の地震予知研究所の所長として抜櫂されたにも関わらず、それを蹴り、嶋西先生から懇願されていた生体ミネラルの開発に協力する道を選ばれたのでした。
川田先生が関わらなかったら、この生体ミネラルは間違いなく完成しなかったでしょう。
その川田先生も、『私がこの水の研究を選んだのではなく、ミネラルが私を選んでくれたのです』…と。
この両先生がいらっしゃらなかったら、生体ミネラルは現段階でも完成せず、決して私たちの手に触れる事はなかったでしょう。同時に、私の右足は間違いなく切断されていたことでしょう。
両先生の研究と努力により、ようやく今の生体ミネラルが完成し、1992年の地球環境サミットの檜舞台で発表され、「奇跡の水」として世界から脚光を浴びました。
しかし何という皮肉か、量産計画の手前に研究所のスポンサーが破綻してしまったため、膨大な開発費と抽出工場建設の借金をそのまま背負う羽目になり、研究所と工場の閉鎖に陥ったのです。
それを救ったのが、元・東レファインケミカルの石井社長です。
当時石井社長は、ロシアから抗癌剤であるインターフェロンを初めて日本に持ち込み、全国の医療界に普及された方です。
ところが、「インターフェロンよりもすごい水があるらしい」…、聞き捨てならない噂を耳にした石井社長は、『そんなばかな!有り得ない…』と、開発者である嶋西先生の自宅に押し掛けます。
嶋西先生は石井社長に会うなり、「君、顔色悪いね、肝臓かどこか悪いんじゃないの?」と、生体ミネラル2Lを1本差し出しました。確かに当時の石井社長は、東レグループの社運を一身に受け、インターフェロンの普及のために不眠不休で奮闘しており、連日の忙しさと接待で精神も肉体もボロボロでした。
「これ全部飲んでからもう一度来なさい。話はそれからだ」
呆気にとられた石井社長は、頂いた生体ミネラル1本を持ち帰り、疑いながらもチビチビ飲んでました。
まず最初に驚いたのは、接待前に飲むと酒に酔わなくなったこと。
しかも翌朝の目覚めがスッキリしていて、疲れが残らないこと。
身体に力がみなぎって顔色も良くなり、精力的に仕事も集中できたこと…明らかに違いが現れました。
『な、何なんだこの水は…』
しかもこの生体ミネラルは、農薬のような化学物質を除去し、河川まできれいにする…。
『この水で、農業、医療、食の全てが変わるかもしれない…』
そんな折、石井社長はミネラル研究所が危機である事を知り、迷わず自分の全財産と退職金の全てを投入し、研究所が背負った膨大な借金を全て清算したのです(※現在研究所兼抽出工場の会長職)。
『私がなぜ引き受けたのかはっきりち覚えていないんです、すごい水と出会ってしまった…、そう思ったら、まるで何か《見えない意思》にひょいと動かされたようで…(笑)』
このミネラルに関わった方のほとんどが、なぜか一様に皆さん同じことを仰います。
『私がこの水を選んだのではない、このミネラルが私を選んでくれた』
贈り物のバトンタッチ
嶋西先生は元々研究畑一筋の方で人と接するのは苦手でしたが、地球環境サミットでの発表以来、ますます一人研究室に閉じ籠り、特にビジネス関係の人とは一切面会することはありませんでした。
と言うのも、嶋西先生の名を利用して商売にする輩があまりにも多過ぎて人間不信になったのです。
よって、私も面会を求めてもあっさり拒否され門前払い(笑)。
それでも私は何か時ある毎に、暑中見舞いや年賀状は勿論のこと、『ミネラルを使ってこんな商品を作ってみました』と、一方的に当社の新商品とレポート、そして近況報告を添えて送り続けました。
すると2年後、いきなり島西先生の方から「会いたい」との電話を頂戴したのです!
「二年聞、あなたをずっと見させて頂きました。そうしたら急に会いたくなったのです」
その後お会いして3時間に及ぶ対談を終え、玄関での帰り際に先生はこう仰いました。
「あなたは巷の商売人ではない、いや実は真の商人かも知れないね。あなたこそこの生体ミネラルを正しく普及できる唯一の人だ。もし私が商売人だったらやりたい事をあなたは忠実に実行している。世の中にはこの水の存在を知らない人たちがたくさん待っています、今も未来も。だから私の研究した一切の資料全てをあなたに託したい。私が戴いた《地球からの贈り物》を今度はあなたに贈ります…」
そう言われて、鍵の掛かる戸棚に保管されていた資料をごっそりと私に手渡されました。
戸惑いながら一応受け取りましたが、あまりにも内容が難し過ぎて、実は今も読んでいません(笑)。
私には、嶋西先生の書かれたこの1枚1枚が、人生の金箔のように輝いて勿体なくて…。(転載、ここまで)
おまけ。
もっとも好きな都内散歩コース、もう何十回歩いただろう、
等々力渓谷(とどろきけいこく)からの多摩川べりです。ねころび瞑想付き。
渓谷は、東京どまんなかとは思えないほど、水も大気も澄んでおりました。
マスクばかりしていると免疫がさがっちゃうよ。
澄んだ大気と濃厚接触しよう2020夏。