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ガンもどきを経て。クライアントが私の先生

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基本姿勢はスクワット。腰を曲げないので、疲れにくいです

 


CS60(に限らずいろんなギア)で、症状を取り除くだけじゃ、根本解決にはならない。最近、ますますそう思います。

どんな硬結を、結石を、浮腫を、腫瘍を取ったって(そりゃあ取ったほうがいいけれど)、

生活や食事が変わらなければ、また似たような石ができる。
生活や食事を変えても、思考のクセを変えなければ、もっと手ごわい石ができる。

CS60で取っても取っても、時がたてば再発する。


じゃあ思考のクセって何? 

多くは12歳迄にはしっかり形成されるといいます。

「知ってる。インナーチャイルドとかアダルトチルドレンとかに関わる事でしょ。そんなの耳タコ」。


つい数年前まで、私も思っていました。わかったような顏したセラピストに、心の内面に踏み込まれたくないもの。

 


でも、理解したつもりと、それときちんと折り合いをつけることは別でした。
何十年も封印してる(ことに気づいていない)トラウマが40、50、ときには70代になってから、ガンに形を変えて噴出したりする。

 


私は昔、ステージ1のあるガンを自力で克服したことがあるのですが、それはあと2~3年(15年経過)後にお話しします。

以下は、前ガン段階に繋がりそうだった嚢胞の話です。


恥ずかしい私事になりますが、

私の祖母は猛者で、気が強く、県立女学校を首席で卒業したことが自慢の、鼻息の荒い人でした。

 

そんなおばあちゃんに育てられると、飼い犬まで荒くれになってしまうのか、うちの犬はバウバウ吠えるわ噛むわの猛犬だったそうです。まだ父が、少年の頃のことです。


そんなある日、ご近所の人が、犬のことでなにかクレームをつけに来ました。

 

するとばあちゃん、

「うるさい。そんなに言うなら、こうしてやるわ」と、手近にあったシャベルだか鍬だか鋤だかをもちあげて、犬の頭をカーーンと、かち割りました。

彼女にとって、眉ひとつ動かさず、そんなパフォーマンスで人々を恐怖の底に突き落とすことは簡単だったそうです。


まだ子どもだった父は腰が抜けたそうです。どれだけの、恐怖だったことでしょう。
ばあちゃんは、それから、まだ息のあった愛犬を保健所に連れていったそうです。

 

それから月日は流れ、大人になった父はことあるごとに、母や私に手を上げるようになりました。この歳になって思うのですが、家族を殴って生きなければ、父は重い病気にかかっていたのかもしれません。

私は、祖母譲りのエキセントリックな自分自身の性格や、父の暴力におののきつつ、すさんだ時期に、あらゆる悪さをしました。ばあちゃんからくすねた金でディスコ(クラブじゃないよ)に行く。そのくらいはステージ1でした。ステージ4の所業はここに書けません。

しかし奇跡的に、大学進学のため18歳で家を脱出できました。

 

男の人に黙って後ろに立たれると、瞬間的にファイティングポーズをとる、というような習性が抜けませんが、大学からは優しい恋人たちに恵まれて(優男ばかり選び)、

「あの18歳まではなんだったのだろう」と思うようになりました。

父殺しの夢をなんどか見ましたが、心理学を勉強し、「私のトラウマはこうした夢を見るたびに収まっていくのだろう」と思っていました。しかし、そうは問屋がおろしません。

 


40歳をいくばくかを越えてから、右側の乳房外側に、立派な痛みを伴う嚢胞がちゃんとできました。
「右 乳房 嚢胞」。明らかに父性トラウマが元です。
頭ではわかったふりをしているので、ガンでなく嚢胞(液体状)となって揺らいでいます。でも、放っておいたら数年後には膿疱内癌化するとわかるのです。

 

「やっぱり、根っこをごまかしたつもりでは、だめだったんだ」と思い知らされました。


 

私には自分自身のセラピーが必要でした。身体の望診術などを修得するのは、施術を深めたい為もありますが、大方は自分の為になっているのだと思います。

 

自分の根っこと折り合いをつけると決めてから、父のおびえや悲しみが知れる出来事を聞きました。

 

彼が30代の立派な大人になったというのに、祖母は、腹を立てると、息子の襟首をつかんで庭に引っ張り出し、折檻したそうです。

銀行のマネジャークラスになった大人の男が、折檻されて、しゃがんで泣いていた。
ばあちゃんこそ、一体どんな育てられ方をしたんやろ…。と思いますが、祖母の生育環境は知るよしはありません。

 

 

かくして、私の嚢胞は外からの施術ではなかなか治りませんでしたが、泣いていた父の背中を思い、心を動かされたことが、僅かな転機となりました。

セラピーを通し、少年時代の父に「一緒に遊ぼう」、「大丈夫だよ、安心して」という言葉が出るようになりました。彼が泣いていた背中を何度も何度も想うようになってから、やっと、嚢胞の痛みがすこし溶けてくる感触がありました。


でも、あらゆる「症状」は、「治る」ということはないのです。それは残る。あるいは形を変えて。

少しシクシク痛んで、淀んでいるくらいが、家族を想うことができて、ちょうどいいのかもしれません。

 

CS60施術の前に、あらゆる病気には、そんな根幹(時には先祖から)のアプローチが必要だと思う次第です。

 

 

そして、こちらは、クライアントYさんからの最近のおたよりです。

 




難しい症状を抱えてらっしゃったけれど、自分で自分を癒せると気づかれてから、溢れんばかりの可能性、行動力に満ちて。

私を妹分のように思うと言って、医療健康情報まで提供してくださるんです。

 

 

もともと、施術の予約の段階から、情報を開示してくださっていました。

 

でも1回目のセッションでは、まだ私は目に見える「症状」を追っていました。








しかし、この1回目の施術後、声診断のできる相棒が、「Yさんは生い立ちにトラウマがあるかもしれない」と言いました。


トラウマなら私にもある…と、あまり気にしないでいたら、


2回目の施術で、Yさんは壮絶な幼少期について聞かせてくださいました。

 

まさか、小さい頃の経験と、40代の今まで苦しむ症状とが、関連する?

 

文献を探しに図書館へ行っても、なかなか糸口はありませんでした。

ウーンと悩んでいたとき、ふと数年前に、医療記事を書くために読んだ資料が、PCの奥から出てきました。

 

この漢方や。

 

 

幼少期に蓄積された恐怖や怒りと、出づらい声と、腸炎。

その思いがほとばしり始めた、今。


それらが結びつく漢方薬があったんです。

いや、この漢方薬が効くか効かないは、実は、重要ではないのだと思います。






ああ、そうか。

病気の治癒には、クライアント自身が、古今東西南北、あらゆる時空を超え、可能性を探ることが必要なんだ。


CS60を含め、ひとつひとつ施術の効力は、何千、何万分の一にしか過ぎないから。

 

「自分がまなんだ分野、自分が得た技術に拘泥していては、ほんとうの奥へ、進んでゆけない」


この発見が、今年から東洋医学の学校に進もうと思うきっかけになりました。


だから習う学問はなんだってよいのです。ホメオパシーでもオステオパシーでも。




赤坂溜池クリニック 降矢英成先生作成



 医療は大海であり、すべては海中で繋がっているということを知るために、医療を学びたいです。



そのうえで、「あらゆる可能性」の「探し方」をシェアできれば、誰もが自分の主治医、セラピストになれますよね。


Yさんが、自分と私の「先生」であるように、です。


だから、クライアントさんがいつまでも私の施術を受けに来るようでは、治療屋として私の負けなんだと思います。


(メンテナンスやリラクゼーションは別よ🖤)

 


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