カルチャー教室や大学の講義で大人気の、編集者・小説評論家 根本昌夫先生をお招きし、新しい小説教室を開催させていただくこととなりました。

◆詳細、お申込みはこちら⇒【小説の課題実践会】
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近現代日本文学の頂点に立つともいわれる、ある作家の死因は、じつは腹上死であったらしいです。
・・・などというロマン(?)を真面目(?)に語ってくださる根本先生。
その新教室・第1回目では、作家の作品を事前に読んでくる「宿題」はありません。
当日は、先生が用意されたいくつかのテキストをお配りし、それを読みあわせるという、愉しい趣向になりそうです。
そのなかで、根本先生が師と仰ぐ早稲田大学名物教授「平岡篤頼」先生による、「最終講義」録のテキストをお預かりしています。
最後の授業となったその日は教室の両壁が人・人・人で埋まったという、伝説の講義のようです。「知る喜び/読む楽しみ/書く快楽」と題された講義録には・・
◆「ワセダというムサい旦那に永年お手当てをいただいてきた≪男芸者≫が、とうとう皺だらけのお邪魔虫になったので、感謝の気持ちをこめて隠退のご挨拶を申し上げる。そんな心境と申しましょうか…」
◆「「小説を書くということは、銀座の町のなかを裸で逆立ちして歩くくらい恥ずかしいことだ」と…」
冒頭からそのような感じで、「!?」と、つい、つい拾い読みしてしまいました。
開催日に、参加者の皆さまと一緒に初見で読ませて戴きたかったですが、つい。
内容は、
文章分析学のチョット痛い点や、同性愛作家たちが命を賭したフランス文学・翻訳論、「読む私」&「読まれる作品」の関数の話や、なぜ「読まない人には書けない。書かない人には読めない」のか、そして「文学とは剣玉だ」! など。
文章好き、文学好きなら興奮しそうな話ばかりです。文学をやるって自分のイタさを発見することなんでしょうか・・。皆さまと一緒にじっくり読んで、イタさと快感をわかちあいたいです。
その他、ロシュフコーの金言なども配られる予定です。どのように料理していただけるでしょうか。
「課題実践会」ということで、「作品が提出できないと参加できませんか」とお問合せをいただきますが、いえ、丸腰のご参加で大丈夫です(わたしもできなさそうです)。
ぜひ、こういうテキストに興味のある方も、いらしてください^^
