大事に思っていた人が亡くなって、お焼香に行きたくないと思うことはないですか(行かなくて済むものなら…)。
いい歳をしてそんなお子ちゃまは私だけでしょうか。
好ましく思っていた宝石屋の社長が亡くなりました。このとき作って戴いたダイヤのピアスが形見になってしまった。
社長は、ギャグかと思うくらい全身にどっさりジュエリーをつけても、いやみにならず、ポウッと温かい灯をともした・・ナウシカのオームみたいな人で。
最期にお会いしたとき、死んだ奥さんのことばかり話されて、やっぱり、呼ばれていたのかもしれません。
社長は、まさに、この琥珀のような、はしばみ色の目で(イメージ)、
こういうゴージャスな指輪は、皺のある手になったら、より似合いますね、とニコニコされて。
たしかに、わかる年齢になりました…シワとゆびわのマリアージュ。
あの可愛い、可愛い、おじさまのいなくなった店に、私はもう足を運ばず、不義理をしてしまうかもしれない。
そんな「予期される罪悪感」で、よけいにお焼香の足がにぶってしまい。
先日、美容院で、つけっぱなしのピアスを2か月ぶりに外したら、ふおーんと少し耳垢の匂いが漂い、不意に「社長は本当に死んだ」、と、自覚しました。
大きな鏡の前で、突然はらはらと涙をこぼした耳垢くさい中年を見て、美容師クンは「このネーサン大丈夫?」的な顔。すいませんねえ。
鏡を見ていたら、社長のお嬢さんの目が、社長の目にそっくりなことを思い出したのです。つぶらな丸い目が。
2か月もかかってしまったけど、お焼香をあげに行かせてもらおう。そして、今度は、お嬢さんと一緒に、宝石を作ってみたい。
たぶん先代も、その丸い目を宝にして、そうやってお客さんと一緒に歩いてこられたのでしょうね。
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社長がのこした宝物
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