昨年8月に、内戦下のシリアで銃弾に斃れた、山本美香さんの記念財団が立ちあがりました。果敢なジャーナリストのための賞が創設されました。
「一般財団法人 山本美香記財団」
美香ちゃんの誕生日である5月26日に創設シンポジウムがありました。
パートナーであった佐藤和孝さんが、振りしぼるような声で、二人の活動史そして事件の経緯を振りかえりました。美香ちゃんは、あの華奢な体に9発も喰らっていたんだ。
佐藤さんは彼女を亡くしたことを、いまだに、どんな言葉でもあらわせない。でも、これからも現場へ行くことをやめないそうです。
美香ちゃんが生きていたらそう望むだろうと、私も思いました。
(C) 2012-2013 一般財団法人山本美香記念財団
作家やジャーナリスト達による、報道の現状についての考察もありました。
もう皆「311」や「ゲンパツ」には飽きたのだろうか。今も被災地レポートを続けているジャーナリストがいるけれど、もうメディアは原稿を買わないそうです。読者に売れないからです。
そして、2003年イラク戦争の時も、311の時もそうだったけれど、日本人ジャーナリスト、ことに大手メディアほど、現場の危険度が増すとサッサと引き上げるという。
残るのは、ほとんどフリーランス記者ばかり。(大手社員記者の中にも、社命に抵抗したり不満を漏らす人もいた。しかしクビを賭してまでは…)
1949年の創設以来、大手メディアの報道者にしか与えられなかったボーン・上田記念国際記者賞が、2003年、フリーランスの山本美香ちゃんらに与えられたのには、そうした背景もあったのです。
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戦争・事件のウラ側に匿されたものを見ようと世界じゅうの記者が踏ん張る中で、
「危うきに近寄らず」的なメンタリティが、国民性としても根付きはじめているとしたら、ヤバイのではないかと思いました。
過酷な現場を、私達の代わりに見てきた美香ちゃんに対し、「自己責任」「死んでも仕方がなかった」などネットに書きこんだ人達もいましたが、
重篤な平和ぼけでないのか。
ネットやSNS上でも、もはや「311」や「ゲンパツ」の話題が、KY扱いになってしまう私達は(個人レベルの)「危険観察力」や「インテリジェンス(諜報力)」においても、かなり国際偏差値が低いんじゃ…。
現政権一部の狙いどおり、JA(Japanese Army?)を持ち、徴兵制でも導入したほうが、ボケ防止になり国際平和に貢献できるかもしれません。
…と、うっかり危険なことを考えてしまいましたが、よく考えたら、ここまでボケた国がJAを持ったって、オペレーションできるわけがない。操作するのは「人」ですからね。
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そんな自分が一番大ボケかもしれません。
被災地には一度行っただけで、怖くて(放射線)もう近づけません。東京だって放射能汚染まみれなんだからと、ビタミンCや発酵食をがぶのみし節電して寝るだけ。
こんな自分の代わりに、果敢な、若いジャーナリストが育ち、世界を見てくれるなら、ぜひお願いしたいです。おばさんはせめてゼニっこを出すことにします。
「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」は、国内問題に当たっているジャーナリストもご応募できるそうです。
来年の山本美香さん誕生日に、第1号の方が選ばれます。
どうか、被災地など、国内の様々な問題を調べ続けている皆さん。
あきらめず、腐らずに、頑張ってください。この賞に応募してください。
そして「世界を見る目」を失いたくないと感じる方は、どうかこの財団に寄付をしてください。
私は安全地帯にいるぬくぬくのライターだけれど、そんながんばる人達を、世に紹介したいです。
「起きろ!大変だ。山本美香ちゃんが死んだ」
昨年8/21の朝、仲間に叩き起こされるようにコールされてから、その言葉が繰り返し頭の中でリフレインされています。それで、あの日からずっと作業し続けていることがあります。
起きろ!美香ちゃんが死んだ。
起きろ!
美香ちゃんの最期のメモとされています
(C) 2012-2013 一般財団法人山本美香記念財団
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意志がみなさんに引き継がれます【山本美香記念国際ジャーナリスト賞】
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